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64(ロクヨン) [読書]

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最近、映画化された『64(ロクヨン)』を読みました。
(映画は見てません。前後編に分かれていなければ見に行ったかもしれないですが)

上巻は主に通勤電車でのんびり読んでいたのですが、下巻の途中から夜更かしして一気に読み終えました。おかげで翌日はかなり眠かったです。(そういう事こそ、夏期休暇中にするべきだったんですけどね)

ネタバレになるような詳しいことは書きませんが、最後まで面白く読めました。



64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

  • 作者: 横山 秀夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/02/06
  • メディア: 文庫



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なめこ文學全集(1) [読書]

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思うところあって、最近発売されたばかりの文学全集を買った。
日本文学の名作がダイジェスト版漫画でサッと読めるすぐれものだ。

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青空文庫さんより)

昔ほとんど読めず、挫折した思い出のある樋口一葉『たけくらべ』も…


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絵、現代文、口語でこんなに読みやすく。


坊っちゃん.jpg
青空文庫さんより)

好きな作品だが、時間がかなりないと通して読めない夏目漱石『坊っちゃん』も…


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空いた時間でパッと読める。


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青空文庫さんより)

色々な意味で難解な紫式部『源氏物語』さえも…
(上は与謝野晶子訳)



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わかりやすく読める!



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登場人物が全てなめこなのも、なめこ好きにとってはたまらない。
良い買い物をしたものである。
早く第2巻が出て欲しいものだ。



なめこ文學全集 なめこでわかる名作文学 (1) (バーズコミックス スペシャル)

なめこ文學全集 なめこでわかる名作文学 (1) (バーズコミックス スペシャル)

  • 作者: 小鳩 まり
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/11/24
  • メディア: コミック


収録作品
・蜘蛛の糸(芥川龍之介)
・たけくらべ(樋口一葉)
・坊っちゃん(夏目漱石)
・セロ弾きのゴーシュ(宮沢賢治)
・斜陽(太宰治)
・怪談 耳なし芳一のはなし(小泉八雲)
・檸檬(梶井基次郎)
・源氏物語(紫式部)

The Fish of Maui - ニュージーランドの国づくり神話 [読書]

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ナオミとデヴィッドのお土産には、母宛の絵本が3冊ありました。
全てニュージーランドの国づくりの神話の主人公、マウイを主人公としたものです。
恥ずかしながらニュージーランドに3年も住んでいたのに、これらの絵本の存在を知りませんでした。

ハワイ神話では「マウイ神が太陽を捕らえ、島々を釣り上げた」とされていますが、こちらマオリ神話のマウイは多少異なっているようです。

著者は全てPeter Gossage, 出版元はPuffin Books(Penguin Booksグループ)となっています。

"How Maui Found his Mother"(1975)
「いかにマウイが母親を見つけたか」はマウイの誕生と成長の物語。誕生したばかりのマウイは未熟児と見なされ、母親(タランガの女神)の髪にくるまれ、海に流されます。しかし生き延びて漂着した海岸で助けられ、成長し、母に会うために旅をするという物語。

"How Maui Found his Father and the Magic Jawbone"(1980)
「いかにマウイが父親と魔法の顎骨を見つけたか」はマウイの成長物語。母親を探し当てたマウイは、父親もきっとどこかに居るはずだと考え、知恵と魔法を駆使して探し当て、対面を果たします。そして、祖父からは「魔力の宿った下アゴの骨」を手に入れます。これが、次の物語で使われる釣り針です。

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↑マウイの釣り針をモチーフにしたペンダントトップ。顎の骨ではなくグリーンストーンですが

The Fish of Maui(1981)
「マウイの魚」はいよいよ、ニュージーランドの国づくりの話。マウイの4人の兄たちは、マウイが全てにおいて誰よりも優れているために嫉妬し、マウイを置き去りにして漁に出ようとしますが、見破られ、マウイ主導ではるか遠い海に連れて来られます。

一昼夜もかけて遠い遠い海に連れてこられた兄たちは、マウイに釣りの餌を渡すことを拒否します。するとマウイは自分で自分の顔を殴って血を出し、その血を「魔法の顎骨」に塗って、海に投じます。

ところが「魔法の顎骨」で出来た釣り針は、海底に潜む、何か巨大なものの背中に付いていたテコテコ(彫像)に引っかかりました。マウイは渾身の力で、巨大な存在を引き上げようとしました。

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(全身全霊で釣り針を引くマウイ。瞳に渦が現れている)

マウイはカラキア(祝詞のようなもの)を唱えて巨大な存在を諌め、引き上げようとしますが、巨大な存在は怒り、海は煮えたぎって荒れ狂います。しかしマウイの意思の力が勝ち、ついに巨大な魚が海面に姿を現しました。

魔法の顎骨を取り戻すため、マウイは海に潜りますが、その隙に4人の兄たちは魚の背中に降り立ち、肉を切り取りました。おかげでマウイが戻った時には、なだらかだった魚の背は荒れた山と谷ばかりになってしまいました。これがニュージーランドの北島になったのでした。

この本では書かれていませんが、ニュージーランドの南島は、マウイが乗ってきたカヌーであるとされています。マウイ達は巨大な神々だったというわけですね。

背表紙には次の物語が"How Maui Slowed the Sun"(いかにマウイが太陽の運行を遅らせたか)であることが書かれていますが、これはなんとYou Tubeにマオリ語朗読付きでアップロードされていました。
探してみるものですね。


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マザー・テレサが最初にしたこと [読書]

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去年の暮れだったか、沖守弘という人の書いた、マザー・テレサについての本を買いました。恥ずかしながら、マザー・テレサについての本を読むのは初めてだったのですが、なぜもっと早く読む機会がなかったのかと思いました。

わたしがマザー・テレサのイメージとして持っていたのは「キリスト教の尼僧で、インドで大勢の貧しい人を助けた」というもの。決して間違ってはいませんでしたが、その活動の始まりは、わたしの想像力の範囲外でした。マザーがカルカッタで最初に開いた施設は、死んでゆく人々を収容するためのものだったのです。

“HOME FOR DYING”

「道端でではなく、ゴミの山や排泄物にまみれてではなく、どんなに見捨てられた人であっても人間らしい死に方ができるようにと、マザー・テレサは<死を待つ人の家>を作った」(128ページより)

マザー・テレサによると、人間にとって最も耐え難い苦しみは、貧困でも飢餓でもなく、「誰からも必要とされていないと思うこと」だと言います。そのため、死に向かう人々を寝かせ、身の回りの世話をして、話しかけて、とすることにより、「人間らしい死」を迎えられるようにするのがこの施設の目的だったと言います。

ところが、1952年に「死を待つ人の家」がつくられてから、1980年10月までの28年の間に、収容された人の数は40,306人で、うち亡くなった方の数は18944人(28ページより)。驚くべきことに、運び込まれた「死を待つ人々」のうち半数以上が回復していることになります。

もちろん、施設で与えられる屋根とベッド、そして医療と食事が、回復の直接の原因であることは間違いないでしょう。しかし、おそらくそれよりも重要なことは、「もう死んでもいい」「生きていても仕方がない」と思っていた人々が、マザーやシスター達の手当てを受けて、「生きたい」と思うようになったということではないでしょうか。

昨日、震災一周年のテレビで、大阪に非難してきた女性の方がインタビューに答えていました。家にばかり居ても仕方が無いので、ヘルパー2級の資格を取り、働くようになったのだといいます。きっと、家は無くなっても、ご家族は無事だったのでしょう。人に必要とされているから、生きたいと思う。それはとても自然で、かつ尊いことだと思いました。

人を必要とすることも、必要とされることも、ありがたいことだと思い、恥ずかしがらず嫌がらず、堂々と行いたいと思うばかりです。

なおマザー・テレサは「死を待つ人の家」設立の後、孤児を保護し育てる施設や、ハンセン氏病患者が共同生活を送ることのできる村などを設立。1997年に亡くなった後も、彼女の志を継ぐ人々によって世界中で複数の施設が運営されています。


マザー・テレサ あふれる愛 (講談社文庫)

マザー・テレサ あふれる愛 (講談社文庫)

  • 作者: 沖 守弘
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1984/06
  • メディア: 文庫


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結婚の重さ [読書]

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本日、生まれて初めて購入した結婚情報誌『ゼクシィ』。付録を含めた総重量は、何と3.6kgでした!
これは関西版ですが、首都圏版はさらに重いかもしれませんね。

(訂正)
正しいタイトルは「結婚情報誌の重さ」でした。失礼しました。

(翌日追記)
普通に立ちます。

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関西ゼクシィ 2012年 02月号 [雑誌]

関西ゼクシィ 2012年 02月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: リクルート
  • 発売日: 2011/12/21
  • メディア: 雑誌



ニューズウィーク2006年10月25日号「北朝鮮崩壊のシナリオ」 [読書]

本日、北朝鮮の金正日総書記の死去が報道されました。

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もうこのとおり、『ニューズウィーク』誌にも特集記事が…というのはいくらなんでも早すぎですね。

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実はこれ、『ニューズウィーク』の2006年10月25日号のページなのです。

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これは表紙の一部。この号の特集が北朝鮮だったため。この号の29〜30ページには北朝鮮の将来に関する「5つのシナリオ」が収録されており、5年経った今読むと、なかなか別な趣があります。例えば「シナリオ1」はこんな感じです。


【シナリオ1】
・2007年、北朝鮮がテロ組織に核技術を売ろうとした証拠を米国が提示。米国・韓国を中心とする多国籍軍が北朝鮮を空爆開始。日本は韓国もろとも北朝鮮のミサイル攻撃を受け被害甚大。北朝鮮難民大量発生。地上戦の末、同年秋に平壌陥落。その後は国連平和維持軍が駐留。


何だか、そうならなかったとわかっている今、改めて読んでも説得力がありますね。他の「シナリオ」には北朝鮮が核を放棄して経済改革を遂げる、内戦により内部崩壊などがあります。

今日はもう遅いので、明日にでも、じっくりこの号を読み返してみたいと思います。
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『八甲田山死の彷徨』(新田次郎) [読書]

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新田次郎著『八甲田山死の彷徨』はずいぶん前に読んだ本だが、そろそろ気持ちが落ち着いたので紹介したい。実際の出来事に基づいた小説で、内容はと言うと、タイトルの通りである。


==============
 以下ネタバレがあります
※げんなりするような内容です
==============

続きを読むにはここをクリック


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本屋のおっちゃんと『小津安二郎 人と仕事』(蛮友社) [読書]

昨日、昔なじみの書店のおっちゃんを訪ねた時、わざわざ奥から持ってきて見せてくれた本があった。

「蛮友社」という聞き慣れない出版社の『小津安二郎 人と仕事』という豪華本。昭和47年(1972年)発行。定価は6000円となっている。おっちゃんによると大変希少な本で、おそらく1000部、よくて2000部しか刷られていないのだという。こんな話を聞いた。

小津安二郎の死後、元スタッフや関係者が集まり、長い年月をかけてこの追悼本を作り上げた。

しかし、どの出版社に持ち込んでも出版を引き受けてくれる会社は無かった。小津監督がこの世を去ってはや数年、今更そんな本を販売しても誰も買わないだろうという判断である。

そこで有志は、出版社を立ち上げてしまった。その名も「蛮友社」(ばんゆうしゃ)。そもそもこの本を出すためだけの会社だったためだろう、その後、この会社からの出版物は他に見た事がなく、本が手に入ってから奥付けにある住所に手紙を書いてみたが、反応はなかった。

それはさておき、昭和47年にこの本が出版された時、おっちゃんは馴染みの書店で中を見せてもらい、喉から手が出るほど欲しくなった。しかし、定価の6000円という金額は捻出できなかった。当時の6000円は大変なお金だったのだ。(そして、それは確かおっちゃんが会社勤めをしながら書店オープンの計画を温めていた時期だ)

月日は流れ、おっちゃんは地元の駅前に念願の書店をオープンした。幸い景気は良く、お店は調子が良かった。元号は平成に変わったが、書店は特に何も変わらず営業していた。そしておっちゃんはある時、東京に足を伸ばした。もちろん行き先は神田神保町、古書店が軒を連ねる、おっちゃんにとっては幸せの鉱脈だ。岩波ホールのすぐ近くに、映画関連の書籍を専門に扱う古書店があることも調べていた。そして、見つけた―『小津安二郎 人と仕事』の古本である。

再び、喉から手が出そうになった。古書店の店主はそれが希少本と知っていた。前にも一度だけ入荷したことがあるが、すぐ売れたのだという。提示された値段はなんと、六万円。定価の6000円にゼロが一つ増えていた。

「六万円、ですか。いや…今ね、ぼく、持ち合わせがないんですわ」
「そうですか、大丈夫ですよ。お取り置きしておきますので」

ゼロが一個多くても構わない。本当に欲しい。今これを逃したらもう手に入らない。そうおっちゃんは思った。しかし、不思議なことが起こった。得体の知れない何かがおっちゃんの中でうごめいて、口からこんなふうに出てきた。

「いや、ぼく、大阪から来てるんで、そうそう来れないんです。結構です。ありがとうございました」

それは本当に、おっちゃん自身にもわからない出来事だったという。ただ、古書店の店主が「お取り置き」と言った時に、「虫の知らせのようなもの」があったらしい。とにかくおっちゃんは長年探し求めていた本に背を向け、大阪に帰って来た。そしてその晩は一睡もできなかった。

そしてまた年月が経ったある日、おっちゃんは仕事で梅田の取次店に向かった。そして、いつもの通り、出物はないかと、古本屋が軒を連ねる第三ビルの地下に足を運んだ。そして、それは再び唐突にそこにあったのだ。蛮友社『小津安次郎 人と仕事』。値段は4万5千円。しかし手持ちのお金では足りず、今度は「お取り置き」もできない。おっちゃんは「今この瞬間にも誰かに買われてしまうのでは」と戦々恐々としながら現金を引き出しに走った。そして、4万5千円を手にして戻ってきたとき、本はまだそこでおっちゃんを待っていて、おっちゃんと一緒に家に帰る事になったのだ。

その後、一年間にわたって、おっちゃんはその本を愛で続けたのだという。本当に、毎日、開いてページを繰って、何度も何度も読み返した。その時の4万5千円の領収書は、記念として本の最後のページにはさまれていた。日付は平成9年、最初の出会いから、25年が経っていた。

仲の良い友達に、「4万5千円も出して、何冊セットかと思ったら1冊か」とあきれられたというのも、おっちゃんの自慢のひとつである。
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『なぜ、人を殺してはいけないのですか』のヒュー・ブラウン氏、泉佐野市で講演 [読書]


なぜ、人を殺してはいけないのですか

なぜ、人を殺してはいけないのですか

  • 作者: ヒュー ブラウン
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2001/01
  • メディア: 単行本


「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問がメディアに現れ始めたのはいつだったでしょうか。

日本語で見た記憶がありますから、多分1990年代の終わりごろだったのでは、と思います。神戸連続児童殺傷事件(いわゆる「酒鬼薔薇事件」)が1997年でしたから、その後だとすると自然に思えます。

「なぜ人を殺してはいけないのか」。それは昔であれば質問にならない質問で、そんな事を真面目に聞く人はいなかったはず。ところが人を平気で殺し、悔悟の念すら抱かないような人間が続々と現れた事によってその常識が崩れ始め、本当に「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問への答えが、各界の人々によって語られ始めました。正直な話、皆さん解答に苦しんでおられたようでしたが。

その数年後、アイルランドから帰ってきたわたしがたまたま、近所のブックオフで『なぜ、人を殺してはいけないのですか』という、そのものズバリの題名の本を発見しました。それも、著者はアイルランド人。しかも…元テロリスト? いったいどうやって牧師になって日本に来る事ができたんだ? 「まあとりあえず」で買った本でしたが、そこには「答え」が書かれていました。

「それは、人に命を与え、また奪うことができるのは、神様だけだからです」

著者のヒュー・ブラウンさんはそう答えています。

わたしはキリスト教の信徒ではありませんから、その答えでは納得しない…はずだったのです。しかし、自分でも不思議でしたが、その答え方には感銘を受けました。少なくともわたしが読んだ日本の、いわゆる知識人の方々の答えの中には、それほどまでに真っ直ぐで、揺らぎのない答え方をした人はいなかったからです。表紙の写真のヒュー・ブラウンさんの炎のような眼差しにも、自身の信仰についての疑い、迷いというものは全く見られません。

そのヒュー・ブラウンさんが今日、隣の泉佐野市にやって来ました。本当に不思議なことですが、母がどこかの集まりでもらってきたチラシに、彼の講演会に関するものが入っていたのです。もちろん母もキリスト教徒ではありません。まさかあの人に会える日が来るなんて…体調を崩している筆者でしたが、ヘロヘロになりつつも行ってまいりました。

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場所はバブルの頃に建った泉佐野センタービル11F、「泉佐野キリスト集会」のお部屋です。小さな場所ですが、皆さんの気配りの行き届いている、あたたかく居心地の良い雰囲気でした。いただいた本日の予定表を見ると、やはり書かれていました。

「元テロリスト」

ヒュー・ブラウンさんは著書にも書いてある通り、元テロリストです。イギリス領北アイルランドの州都ベルファストに生まれ、北アイルランド紛争の際にアルスター義勇軍(UVF)に参加し、アイルランド共和軍(IRA)との熾烈なテロ戦争に実働隊として参加していました。活動のさなか、政治犯として投獄された刑務所の中で「神に目覚め」、宣教師となって日本に来た、という経歴の持ち主です。

「こちらでどうぞ」
「アリガトウ」

あっと思ったら、代表の方に連れられて筆者の左隣にヒュー・ブラウンさんが座られました。実際はどんな人なのか見たいけど、後でいくらでも見れると思って我慢する筆者。代表の方のご挨拶と、賛美歌のあと、ヒュー・ブラウンさんがスピーチのために前に立たれました。


なんて穏やかな顔なんだ。


第一印象から大ショックでした。2001年の著書のカバーと明らかに同じ人なのに、あまりにも穏やかで、あの炎のような瞳で真っ直ぐ目の前を見つめている強烈な印象が、全くありません。まるで風雪に削られた自然石のように、角がなく、静かで、やさしいお顔です。牧師さんなのに、「仏相だ」と思ってしまった筆者でした。

「元テロリストと聞いて、皆様は、どういう人間だと思っていたでしょうか。このような、やさしい顔のテロリストがいるというのは信じられないのではないでしょうか」

外国人らしい訛りはあるものの、流暢な日本語で挨拶するヒュー・ブラウンさん。来月で日本に来て26年になるそうなので、納得です。
(*ブラウンさんのスピーチは筆者の記憶を頼りにしていますので、必ずしも実際のスピーチと同一ではありません)
しかし、「やさしい顔」と自分で言うところは、普通笑うところなのですが、本当の本当にやさしい顔なので、冗談になりませんでした。残念。

さて、ヒュー・ブラウンさんが講演となれば、やはりお話の中心はテロ活動と、キリスト教へ帰依するきっかけ。お話はほぼ時系列順でした。

タイタニック号が建造されたベルファストの造船所近くの、「普通の人なら避けて通りたくなるような地域」で生まれ育ち、幼い頃から当たり前のように悪事に手を染めていたこと。しかしながら、毎週家族で行く教会では聖書を読み、教えに耳を傾けていたこと。「全くの別世界でした」とのことでした。

15歳の時にはすでに少年院に入っていて、出所して工場に就職したものの、やはり手の負えない不良として知られていたこと。正義のためにと信じて、職場の先輩の「スカウト」を受けてテロ組織UVFに入隊したこと。そして、英雄となりたいがために資金稼ぎの強盗、爆破テロ作戦などを次々と行った事。スピーチではさすがに語られませんでしたが、著書によると暗殺のため差し向けられたこともあったはずです。それが未遂となったのが後に大事件になるのですが…と思っていたらここで話は刑務所内へ。

18歳になったブラウンさんは、政治犯としてテロリストを専門に収監するメイズ刑務所に服役していました(資金調達のために銀行強盗を行い、逃亡中に逮捕されたのだと記憶しています)。そこの体育館である日、映画観賞の時間が設けられ、みんなで『ベン・ハー』を見ていました。ブラウンさん、「こんな面白い映画が見れるなんてラッキーだな、最高の娯楽だよ。刑務所に入ってることを忘れられる」などと思って見ていたのですが、ラストシーンのイエスの磔刑のシーンで「啓示を受けた」のだと言います。

イエスが2000年前に十字架にかけられ死んだのは、ブラウンさんが犯した罪のためであることが、突然「わかった」のだと言います。

罪とはこの場合、銀行強盗や爆破などの直接の行為ではなく、神に背を向けていたことであると、ブラウンさんは語りました。他の罪は全て、その不信仰の罪から生まれたものだと言います。これまで教会でやっていたのは形だけ、本当の信仰ではなかった。そこで生まれて初めて、心からの祈りを神に捧げますが、「祈りは体育館の天井にぶつかって、跳ね返ってしまったようだった」とのことでした。その日からブラウンさんは聖書に没頭し始めます。

しばらくは、開きかけた目がまた閉じてしまったような感じ、聖書を読んでも心のどこかで「死刑にされて蘇るなんて、ありえない」と思ってしまう日々。しかしついに二度目の啓示がありました。神を自らの中に感じたということです。

「イエスが死から復活したのは、真実である。なぜなら、イエスは今、私の中に生きているからだ」


* * *


思えばそれまでにも、「5回は命を救われている」というブラウンさん。例えば、バイクで爆弾を運んでいた時、急に怖くなって爆弾を道路に捨て、「しまった、どうしよう…作戦が…資金が…ボスが…」などと思っていたら、10秒ほどして爆弾が暴発したという話。

また、暗殺に失敗して報復として拉致された時。双子の弟と共に、寝室に乗りこんできた敵組織のメンバーに誘拐され、2時間に渡って暴行された上、歩けないように膝を拳銃で撃たれ、いよいよ処刑という時、なぜか放置されて兄弟ともに一命を取りとめた話。

そして、服役中、神の道に進むため組織と決別したいと伝えた時。これも、裏切り者として処刑されていてもおかしくなかったそうです。

そしてそのすべては、毎日6人の子どもたちのために、お祈りを欠かさなかったお母様の導いてくれた事だということでした。お母様の祈りが神様に通じ、それがブラウンさんを救い、また導いてくださったのだと言います。

キリスト教に本当の意味で帰依したブラウンさんは、北アイルランド紛争は宗教的な戦いではなかったと断言しています。カトリックとプロテスタントの争い、と報道されていましたが、実際はそうではない。本当の原因は、どちらが北アイルランドの領土を獲得するかという、利権の問題だけだったそうです。特に宗教を「怖いもの」とする日本のマスコミによって一方的な報道がなされ、宗派の違いが争いの火種になったと信じられているのは遺憾だとのこと。北アイルランド紛争において、キリスト教は始まりのきっかけではなく、終わりのきっかけを作ったと主張しておられました。


* * *


最後に、質問のコーナー。

「どうして宣教師になったのですか」「どうして日本に来たのですか」という質問。これは、偶然宣教師の会合があったのがきっかけだったことがひとつ。そして、実刑判決を受けた元テロリストなのに、日本へのビザが降りてしまったことを合わせて、「すべて神様が決めた事です」とブラウンさん。やっぱり迷いがありません、直球の解答です。

次に「日本とイギリスの若者はどう違いますか」という質問。これには苦笑いをして、最近はマスコミなどから、その質問をよくされる事、及び「イギリスに比べて日本の若者はダメだ」と言わせたがっているのがミエミエなことが度々あるそうです。

ブラウンさんによると、今の日本の若者は色々言われているが、原因は両親の愛情をちゃんと受けて育っていないからだということ。そして、両親が子供に落ち着いて愛情をかけることがままならない社会に問題があると指摘しました。現代の日本の社会は企業とお金を中心に回っており、個人の幸福を望む事が難しいことが根源であるということです。「私は誰にも負けないくらい日本が好きですけど、今の日本の社会は狂っていると思います」とおっしゃっていました。個人的に、ここは「ご両親の祈りがあれば…」という感じでキリスト教的なお話に持って行きやすいのでは、と思いましたが、どうやらブラウンさんにとってはそれ以前の問題のようでした。

気が付くと、あっという間に一時間。有意義に過ごさせていただきました。その後また筆者の隣に座られたので、ちょっとお話させていただき、感無量でした。

それにしても、これまでキリスト教の方々に度々お誘いを受けながら入信していない筆者。一時は「色々と助かりそうだから入信しちゃおうかな」なんて考えたこともありますが、今日それが間違いであることが良くわかりました。入信するなら、ブラウンさんのように、きっかけがあるべきです。

将来、自分が特定の宗教に入信している姿など想像できませんが、あるとすれば、ブラウンさんのように一点の曇りもない信仰心を持って臨むべきだと思いました。
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『内藤ルネ自伝 すべてを失くして―転落のあとに』(2005、小学館) [読書]

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以前にちらっと、内藤ルネさんの自伝が古本で手に入ったと書きました。

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内藤ルネさんは1932年、愛知県岡崎市生まれ。中原淳一氏に憧れて1952年に上京し、氏が主催していたひまわり社の『それいゆ』編集部員として働き始めました。その後、同社から1954年に創刊された『ジュニアそれいゆ』でイラストレーターとしてデビュー(正確に言うと創刊号の準備号があって、そこがデビュー誌となるそうです)。この時の動機については、このように書かれています。

「…私たちは、10代の頃に憧れる奇麗なものや素敵なものが、戦争によってなにもかも失われた世代です。
(中略)
やっと戦争が終わり、美しいものに飢えていたなか淳一先生が創刊なさった『ひまわり』や『それいゆ』は、まさに焼け跡に咲く大輪の花でした」(29頁より)

『ジュニアそれいゆ』の看板イラストレーターとなった後も、『りぼん』などの少女雑誌の付録、インテリア小物などのデザインを次々と手がけ、一時代を築き上げた方です。本書によると、それまでは「上品で美しい」女の子デザインが主流だったのが、ルネさん以降は「元気でかわいい」になって定着したとか。

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本書にも書いてありますが、内藤ルネのデザインは良く知られているが、その名前を知らない人は多いだろうとのこと。確かにこういう小物だと、作者の名前が入るところがありませんもんね。ちなみに「ルネ」はフランスの男性名ですが、内藤ルネさんも男性です。

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この内藤ルネさん、もの心ついた頃には女物の着物を着ること、また、人形で遊ぶことが好きで、初恋の相手は実のお兄さん、その次は学校の体育の先生、その次は下級生の男の子。東京で成功した後は、常にパートナーの男性と一緒に暮らしていたということ。

ルネさん、同性愛者というよりも、精神的に女性だったのでしょう。今で言うとGID(性同一性障害)ですが、少なくとも自伝には深刻に悩んだり、迫害されたりという話は書かれていません。

それにしてもこの自伝は、素晴らしい一冊です。輝くような物語と言葉がぎっしり詰まっています。しかし、特にわたしが素晴らしいと感じたのは、表題にもある「すべてを失くして」のところです。本書第七章「地獄の10年」は、成功を重ねて億万長者となったルネさんとパートナーの男性が、バブルの末期に詐欺に遭い、財産をほとんど全て失ってしまうところから始まります。被害総額、実に7億円。

最初にプレッシャーになったのは、不動産を処分した後に住む賃貸物件を借りる事ができなかったこと。立ち退き日は迫るものの、50代と60代の自由業の男性ふたり組、物件の貸し手がいません。

そしてパートナーの男性が、19歳年下の男の子を養子にすることにした、という話。詳細は語られていませんが、どうやらルネさんとパートナーの「トンちゃん」の恋愛関係は終わっており、
トンちゃんとその男の子「よっちゃん」が恋愛関係になり、日本の法律では同性結婚ができないので養子縁組することにした、というところだと思います。

失意のルネさんを最後に追い詰めたのが仕事の消滅。バブルの崩壊によってルネさんグッズを扱っていた会社はそれぞれ倒産・撤退し、20年間連載していたインテリア誌『私の部屋』は休刊。ついにルネさんは自殺を決意します。しかし。

「明日こそは、とついに最後の決断をしたその日のこと。私を慕ってくれていた年下の友達が亡くなった。自殺だったと、友人が電話で知らせてきたんです。
(中略)
自殺にいたる時間は短いらしいですね。思いつめた時間をやり過ごせれば自殺は逃れられるといいますが、それを聞いたとたん、私は思い留まったようですーーー。

 生きていなくちゃいけないって。どんなことがあってもね。自分から死ぬってことはもしかして、他人に迷惑をかけるってことなんじゃないかなあと、そのとき思いました。

 どんなにご無沙汰していたって、友だちがそうやって亡くなるというのは、聞かされればつらいです。私が自殺したら、残された人たちもやっぱりつらいでしょう。ましてやトンちゃんやよっちゃんはどれほど苦しむだろうか。

 皮肉にも、友達の死が、それに気づかせてくれたのでした。
 よっちゃんのこともね、待てよと思ったんです。
 人間はね、生きていくのにひとりよりふたり、ふたりより三人、三人より四人……多いほうがいいと思ったの。

 悟りなんてもんじゃありませんけどね。なんとなくそう、ひらめいたんです。
 それから心がすうっと……なにかこう、静かにゆっくりと、気持ちのめぐり方が変わったように感じました。」(183-184頁)


そしていよいよ最後の住処を失う直前のルネさん達3人に、助け舟が現れます。ある雑誌の編集長が、社員寮という名目で賃貸物件の保証人になってくれるとのこと。ここぞというタイミングで奇跡のようなオファーを出したのは、何と!

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日本初のゲイ雑誌『薔薇族』編集長
伊藤文學(いとうぶんがく)


伊藤氏は、本人はゲイではないのにもかかわらず、精神異常者として迫害されていた同性愛者のために『薔薇族』を創刊し、同性愛者同士の交流を促しました。また異性愛者が多数を占める世間に対して「ゲイは異常ではない」とメッセージを発し続けている人物です。

それにしても色々あった関係者の中で『薔薇族』が助け舟を出すのは唐突なようですが、伊藤さんの著書を読むとわかります。実は、ルネさんのパートナーだった「トンちゃん」は、『薔薇族』の創刊メンバーの一人なのです。(伊藤さんの著書では名前が違いますが、明らかに同一人物)

なお、ルネさんは長年『薔薇族』の表紙を描いていましたが、この件の前からか後からかは筆者にはわかりません。この「社員寮」と仕事のオファーが同時だと考えると自然なのですが。

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住まい(居心地はいまいちだったと何度も書かれているものの)と、そして毎月1ページとはいえ仕事が残ったルネさん。しかも生まれて初めて男の子の絵を描くことになり、とても楽しかったそうです。しかし、マイペースな生活を数年間続けた後、突然心筋梗塞で入院。その上、「トンちゃん」までが腎臓と肝臓を悪くして緊急入院。診断結果は、両者ともに「死の可能性あり」。

この時、「トンちゃん」は病気の内容から、自分より先にルネさんが死んでしまうと思い、その前にルネさん最後の願いを叶えてあげようと決意し、病室で活動を始めました。元はと言えば財産を騙し取られる原因となった、美術館の設立です。


* * *


かろうじて手放さずに済んでいた伊豆の土地を使い、「内藤ルネ人形美術館」が2001年、修善寺にオープン。ルネさんとトンちゃんはどちらも奇跡的に回復し、退院。「社員寮」を引き払い、3人でのんびり暮らすために美術館の居住区に引っ越したのでした。

ところが、めでたしめでたし、というのはまだ早いのです。

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翌2002年、東京都は弥生美術館にて「回顧展」を開いたルネさん、なんと昔のファンだけではなく、若い新しいファンを大勢獲得し、その後数年間にわたってこれまでの作品を集めた単行本が複数出版されるという「70歳の再ブレイク」を巻き起こしました。さらに2005年に二度目の個展があり、ようやくめでたしめでたしです。

長くなりましたが、この自伝が出版されることになったのもそういう経緯があってこそのことでしょう。わたくしこと管理人Kとしては、もう、ほんとに、自殺の決断をした時に死なないで良かったと思うんですね。そして妙な関係ではありましたが、長年のパートナーであったトンちゃんと養子のよっちゃん、3人が離れず、ずっと側にいたからこそだと思います。

ルネさんは2007年に74歳でお亡くなりになりましたが、その人生には頭が下がるばかりです。広い世界を見つめ、美しいものを探して、美しいものを作り出すことに喜びを感じ、また、人を愛し、人に愛されて…デザインの才能だけは、ここまで大きな華は咲かせられなかったのではと思います。

大変長くなってしまいましたが、『内藤ルネ自伝 すべてを失くして』は上記の筆者の駄文などでは語り尽くせないほどの名作です。すでに品切れとなっていますが、図書館等で見かけられたなら、是非一読をお勧めいたします。

(2010年12月16日 一部加筆しました)


内藤ルネ自伝 すべてを失くして―転落のあとに

内藤ルネ自伝 すべてを失くして―転落のあとに

  • 作者: 内藤 ルネ
  • 出版社/メーカー: 小学館クリエイティブ
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 単行本



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